モナコの暑い夏
青い海に青い空。コートダジュールの中でも一番リッチな気分が味わえる。今回は、そんなモナコの話。正式にはモナコ公国と呼ばれる。バチカン市国に続き世界で2番目に小さな国。もちろん都市国家として独立しており、独自の統治機関を備えてた立憲君主制国家。
モナコといえば、グレース ケリー公妃、カジノやF1モナコグランプリの開催地、タックスヘブンとして知られている。モンテカルロとよく耳にするが、あくまでもモナコの4つの地区の1つであり、モナコ経済を支える観光業の中心地区である。ちなみに、モンテカルロとはイタリア語で「カルロ3世の山」を意味する。一方、モナコという呼び名は、ギリシャの統治下にあった時代、Monoïkosと呼ばれておりそれに由来する。
13世紀のヨーロッパでは、ドイツで神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世との叙任権争いに端を発し教皇派グェルフィと皇帝派ギベリーニに分かれて争っていた。1215年、皇帝派ギベリーニが海に突き出した岩山の上に立てた要塞(現在の大公宮殿)に、1297年のある日、教皇派グェルフィのジェノバ人、フランチェスコ ギルマルデイはフランシスコ会の修道士に扮し要塞に潜入。従兄弟のラニエーリ1世の助けをかり要塞の襲撃に成功した。僧侶のことをイタリア語でモナコという。そこからモナコと呼ばれるようになったという説もある。フランチェスコの死後の1309年、従弟であり妻の連れ子でもあるカーニュ侯レーニエ1世が後を継いだ。 レーニエ1世の子孫が、現在のアルベルト2世にまで続く現在のモナコ公家である。
アルベルト2世が、父の後を継いでモナコ公国王となったのは2005年4月6日。父はあの1956年に結婚グレースケリーと結婚したラニエーリ3世。ラニエーリ3世は、ハイレベルは国際観光都市実現に力を注いだ。妻となったグレースケリーは、夫のその夢に大きく貢献した。映画女優であった彼女は、国際イベントの開催やエリート相手の観光業を通して世界中から著名なセレブを呼び寄せる結果となった。残念ながらグレースケリーは、1982年の自動車事故で亡くなっている。今は結婚式を挙げたセントポール教会で夫と共に安らかに眠っている。
長い歴史の後に築き上げられた今のモナコ。ラニエーリ3世のアンテイークカーコレクション博物館は、車にそれほど興味のない方でも楽しめる場所。車好きならモナコGPのコースを実際に走ってみるのもいいだろう。大型クルーザーが並ぶハーバーを散歩するもよし、負けを覚悟でカジノで勝負するもよし、一生に一度、がんばった自分に素敵なプレゼントを贈るのはどうだろう…
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